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2014年10月23日

落胆を推察すると

ご訪問くださる皆様冷凍溶脂
熟読してくださる皆様、
温かいコメントをお寄せくださる皆様、
本当に、ありがとうございます。

いただいたコメントは、全てありがたく読ませていただいております。
それなのに掲載せず、ごめんなさい。
理由はこちらのとおりですが、
心のこもったコメントを送ってくださった方の落胆を推察すると、
本当に申し訳なく、ごめんなさい卸妝產品



ネットコミュニケーションについては、いろいろな考え方がありますが、
私は『総合知』だと思います。

 そこに嘘やまやかし、ノイズは必要なく、
 素直な真心で参加したい。

人生が、全て異なるように、
ブログもまた、千差万別德善生髮

――ということで、どうぞご了承いただけたら、幸いです。  


Posted by 季節外 at 15:54Comments(0)施政樂

2014年10月21日

稀な例なのである

先週の金曜日。土曜日、日曜日と気温が二十四度にとの天気予報。突然、週末の小旅行を決定し康和堂た。

前々から、なんとなく近くを通り過ぎるだけだったノルマンディーの海岸部の三つの場所が気になっていた。ル・アーブル、エトルタ、フェカン。本日は、まとまった時間が取れないから、少しずつ、旅行記にしようかと思っている。予告編として足早に・・・。

「ル・アーブル」意外とご存じない方が多いと思う。戦後再建された町の中心街は世界遺産なのである。たぶん、世界一ユニークな世界遺産のはず。オーギュスト・ペレと百人の建築家によって1945-1964と二十年掛けて、第二次世界大戦の爆撃により全壊した町が再建された。再建された町自体が「負の遺産」ではないけれど、「負の遺産」の上に建てられた「正の遺産」という二重の意味をどうしても感じてしまう。この鉄筋コンクリートの町並みを見たかったのである。実際の町を歩いてみて、キリコの絵の中にいるような錯覚。それから、すべての建物が、ほぼ同じであるから、建物から貧富の判別が付かない。この均質性に打たれた。五千人の戦死者の慰霊塔でもあるサン・ジョゼフ教会の内部空間。宇宙的な空間だった。過去の町の復元ではなく、まったく新しいコンセプトの基に近代的な都市が構築された世界でも稀な例なのである康和堂

「エトルタ」私は、フランス随一の観光名所であるエトルタの断崖を一度も見たことがなかった。モネの作品の方も、負けないぐらいに知られている。アルセーヌ・ルパンの作者、モーリス・ルブランが二十年間住んでいた町でもある。奇岩城のモデルがエトルタの断崖なのである。ルブランが執筆していた家も訪ねてきた。畑の中の安ホテルから、車で夕飯を取りにエトルタへ。たまたま一台の車が出た。そこに車を止める。その後、なんとなく真っ直ぐ歩く。あっ、突然の海岸、ライトアップされた断崖。波の音。脳内を駆け巡ったのは、足摺岬という日本語。黄泉の国の入り口に立ったような不思議な感慨。ちょっと、怖くもなった。打ち寄せる波が手招きしているように見えるのだ。そして、聳え立つ断崖康和堂

「フェカン」ベネディクト派の修道院があった町。現在、その修道院跡にべネディクティンパラスという一世紀前の豪奢な建物が建っている。フランスの著名なリキュールのひとつであるべネディクティンの工場。その細部まで装飾で埋め尽くされたパラスを見てみたかったのだ。なんか、イスタンブールに来ているような錯覚。パラスのバーでべネディクティンを試飲した。アル
コール四十三度の二十四の植物のエキスから作られる、つまり、ベネディクト派が古くから発見していた製法を試行錯誤の果てに再発見したムッシュー・ル・グランの、その執念と、その莫大な富。諸々の思いが頭を過ったけれど、いやぁー、久しぶりに飲んだそれは、実に美味しかった。  


Posted by 季節外 at 11:08Comments(0)康泰旅行團

2014年10月17日

與我共築壹個美麗的桃源

陽光溫熱,歲月靜好。窗外紅葉飄搖,草木因潤,雀鳥往來穿梭,天空也壹如此刻的心境般清朗平和。喜歡靜坐在這樣的光陰裏,不驚不擾,執筆寫下明澈舒心的文字,亦喜歡被此刻和煦不炙的陽光包圍,任透窗而來的金光,披灑在肩上,發上,扉頁上,溫暖而柔和。不為寫下銘心刻骨的話語,只願將這份淡淡的歡愉,裝點在時光的流裏,不會隨過往的風,吹散至遙遠天際。然而,如此曼妙的午後,怎可讓空氣顯得單薄而蒼白,良辰須設美景,而這份簡約的時光也應該有壹曲令令箏音的氤氳,才算是空靈祥和,僅僅於呼吸吐納間,便可覺香醇沁心,醉意微醺鋁窗

自我們的內心沾染上第壹粒塵埃起,便再也無法掙脫紅塵的羈絆,註定要在煙火彌漫的浮世奔波。時日漸長,身心難免會感到壓抑,疲累。這時,便需要適時地放空自己,在壹隅凈土上滋養靈魂。而這片凈土,並非是傳說中的世外仙境,而是內心的清寧。心靜,則境自寧。比如此刻,壹人,壹筆,壹窗秋景,便是清寧,便是凈土,與紛呈世事無關,亦與周身紛擾不幹連。人生不啻是壹場磨礪,更是壹場修行,只有懂得養心,才不會讓自己深陷泥淖,迷失歸途。人要做到時刻清醒,太難,但要淪為盲心人,則太易。所以,短暫人生,何必讓自己入戲太深,而丟失了本真?留點簡潔給自己,留壹隅凈土給自己過度活躍症

我曾說,草木能夠讓我凈心,文字能夠讓我安心,但缺失了哪壹樣,都不會奪走我人生所有的快樂,於我,依然可以過得很好。只是,內心的壹隅凈土會隨著時光的流逝而覆滿潮濕的青苔,而那漂泊的靈魂也再難覓得休憩的港灣。因此,我不會讓自己徹底地沈淪於煙火,也不會讓手中的筆在歲月的風塵中不明下落。也許,正因這份不願割舍的情懷,才讓我的世界變得愈加精彩,靈魂也不再那般孤單。壹直習慣在屬於自己的凈土上獨舞,而那晚,卻因了文字的牽引,得以讓妳我踽踽的身影有了交集。妳說,在我的樂土上可以拂去身心的疲累,聽到花開的聲音。妳亦願植下清涼的文字,與我共築壹個美麗的桃源。

我知,任何諾言都有可能被青雲打濕,被綠蘿牽絆。世間所有的因緣際遇都有註定的長短,有時,即便相約壹生,也難以圓滿。但很多時候,明明懂得這些,卻難以讓自己做到得失隨緣。其實,當我們甘願交付第壹縷真情時,便以決定將世俗的羈絆拋遠,將命運的舛錯拋遠。也許,正因如此,才會有如此多的癡心男女依舊願意用三生三世的諾言,來系住彼此的情感。因為懂得,所以珍惜。而我,畢竟是這樣的平凡,面對真情,也是這般的不能自己。仿佛只有許下諾言,才能夠安撫壹顆漂泊的心。壹句“有生之年,傾心相伴”的話語,就這般脫口而出,看似輕微,卻又是如此的厚重。

也許有壹天,真地走到了緣分的盡頭,妳非昨天的妳,我非昨天的我,那時,也無須太過惋惜,因為,還有壹句‘傾心相伴’感存於心。倘若真如佛所說,人有前世今生,我相信,妳我還會再次相遇。輕啟窗扉,拾起壹枚落定的紅葉,連同內心的清歡與牽念壹同散入過往的風裏,此刻,不知遠方的妳,是否也在我們所愛的文字凈土上呼吸淺眠,抑或於不經意間憶起我們的傾心邂逅,憶起那相伴壹生的諾言?那晚妳說,要送我壹支筆來伴我朝夕,因為相隔千裏,我們無法穿越文字的長河,頻然相會。而妳,亦有壹支同樣的筆,與之相犀。而今,我已習慣用這支筆來抒寫心靈的話語,於素箋上,於紅葉中,於每壹個簡凈的夢裏。不知遠方的妳,是否讀到了我的情意?  


Posted by 季節外 at 13:27Comments(0)施政樂