2014年07月29日
そうですね
新聞記者とは逸早く社会に情報を提供し,読者の好奇心や探究心を満足させ感動を与える職業だ。
しかしながらその一方で取材相手からは「ブン屋」と卑下され,忌み嫌われる境遇でもある。
「他人の不幸は蜜の味」と言われるように,他人の偉業や功績を讃えた記事よりもゴシップに類する内容の方が一般大衆からは喜ばれるのが実情百佳taste。
だから,ひとたび読者から書かれる側に転ずれば後ろめたい暴かれたくもない事実をコキ下ろされるのでは?という猜疑心(さいぎしん)も湧いてこようというものだ。
現に私も工場責任者だったころ推測のみで公害記事を書かれ,ひどく名誉を傷付けられた経験を持つ。
また搭乗していた旅客機のエンジンが火を噴き,海外旅行が中止になって気落ちしていたところを,空港で待ち構えていた記者連中に捕まったこともある澳門船飛。
先日ある銀行系のお堅いセミナー終了後のパーティーでブン屋がインタビューしてきた。
まさか睡魔と戦いながら苦行に耐えていたなんてことをうっかり露呈しようものなら格好の餌食だ。沽券に関わる。
私はストロボ写真のような記憶の断片を必死に繋ぎ合わせ取り繕った。
寡黙な男を装い,やり過ごすことも考えたが逆に私にしては饒舌すぎるほど語っていた。
別に,宴席で酒が入っていたからではない。
その新聞記者が知的な雰囲気を醸し出した美人だったからであるalexander hera wedding。
「なんとかボロが出ないように…」と念じながら質問に答えていたら,念力が通じたのか?それとも馬脚を露わしてしまったのか?セミナーの件から他の話題に変更してくれた。
「実は別の企画で,ただのグルメ連載とは異なった…食とその方の人柄をテーマにしたシリーズを記事にしておりまして,良いお店があれば改めて取材に応じて頂けませんか?」
私も経営者の端くれなので仕事柄それ相応の有名店や高級店に行く機会はある。
しかし,新聞記者がアポを取るような経済界の御歴々が集う老舗を私が紹介したって,ちゃんちゃら可笑しい。
そこで(美人に弱い)私は,彼女の要望に応えるべく,いつも通っているホルモン屋のことを切り出してみた。
「そうですね…週に一回はホルモンを食べに行きます!」
「ホルモン好きなんですか?」
「もちろん嫌いじゃないですが,好きと言うより習慣みたいなもんです。ほら,かの北大路魯山人は毎日タニシを食べてたそうじゃないですか…」
しかしながらその一方で取材相手からは「ブン屋」と卑下され,忌み嫌われる境遇でもある。
「他人の不幸は蜜の味」と言われるように,他人の偉業や功績を讃えた記事よりもゴシップに類する内容の方が一般大衆からは喜ばれるのが実情百佳taste。
だから,ひとたび読者から書かれる側に転ずれば後ろめたい暴かれたくもない事実をコキ下ろされるのでは?という猜疑心(さいぎしん)も湧いてこようというものだ。
現に私も工場責任者だったころ推測のみで公害記事を書かれ,ひどく名誉を傷付けられた経験を持つ。
また搭乗していた旅客機のエンジンが火を噴き,海外旅行が中止になって気落ちしていたところを,空港で待ち構えていた記者連中に捕まったこともある澳門船飛。
先日ある銀行系のお堅いセミナー終了後のパーティーでブン屋がインタビューしてきた。
まさか睡魔と戦いながら苦行に耐えていたなんてことをうっかり露呈しようものなら格好の餌食だ。沽券に関わる。
私はストロボ写真のような記憶の断片を必死に繋ぎ合わせ取り繕った。
寡黙な男を装い,やり過ごすことも考えたが逆に私にしては饒舌すぎるほど語っていた。
別に,宴席で酒が入っていたからではない。
その新聞記者が知的な雰囲気を醸し出した美人だったからであるalexander hera wedding。
「なんとかボロが出ないように…」と念じながら質問に答えていたら,念力が通じたのか?それとも馬脚を露わしてしまったのか?セミナーの件から他の話題に変更してくれた。
「実は別の企画で,ただのグルメ連載とは異なった…食とその方の人柄をテーマにしたシリーズを記事にしておりまして,良いお店があれば改めて取材に応じて頂けませんか?」
私も経営者の端くれなので仕事柄それ相応の有名店や高級店に行く機会はある。
しかし,新聞記者がアポを取るような経済界の御歴々が集う老舗を私が紹介したって,ちゃんちゃら可笑しい。
そこで(美人に弱い)私は,彼女の要望に応えるべく,いつも通っているホルモン屋のことを切り出してみた。
「そうですね…週に一回はホルモンを食べに行きます!」
「ホルモン好きなんですか?」
「もちろん嫌いじゃないですが,好きと言うより習慣みたいなもんです。ほら,かの北大路魯山人は毎日タニシを食べてたそうじゃないですか…」
Posted by 季節外 at
13:08
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2014年07月25日
健康が一番
「やっと5リズムにいける!!!」alexander hera
そう思って月曜日に準備をしていたときの私は、まさしく『魂のワクワク』だった。「バシャールのいうワクワクはここかなぁ、ここなんだなぁ、きっと」と思いその場に駆けつけたにもかかわらず、なんとウエーブの途中『カオス』の音楽に辿り着く前に目眩を感じて撃沈。会場の端の方に仰向けに横たわり自身にレイキをかけながらも、驚く程長く長〜くなる呼吸に「もしかしたらこのまま出てしまう?」という不安を一瞬覚えたくらいだった。ヨガのインストラクターがするように、誰かが私の肩を押してくれて第三の眼に指を当ててくれたが、目を開ける力も無くただ手を合わせただけだった。一体誰がしてくれたのだろう香港酒店管理學院?
脚の手術をしてから動かなくなったのが祟ったのか、体調を崩している。一日30分のウォーキングもずっとサボりがちで、眠くてだるくてやることが先送りになっている「なんかな〜」の状態。『停滞期』を感じるまではいかないけれど、ブログに書くこともないというか書く気にならないというか。でも、そんなだらだらの生活の中でも好きなだけ布団の中ににいられる自由さに幸せを感じている康和堂。
それでも私のアンテナは『本質が見え始めている時期』を察知しているかな。自分の思考の変化や身の回りの人に起こっている事件などから、何度もそう思わされている最近だ。
特に急ぐ訳でもないし、なんだか訳の解らない書類を揃えるのが面倒臭くて先送りにしていたけれど、昨日やっと早起きをしてコートに出向きアメリカでいう離婚届けの第一歩を踏みだした。来年の税金の申告をジョイントでしたいという都合でファイリングを7月まで待っていたのもある永安百貨。
『file the divorce』ーーーアメリカ映画で良く聞くこの言葉を自分がするとは夢にも思っていなかった。必用書類を揃えて435ドル払って『離婚をしたい』という片方からの意思表明をするもの。アメリカでの離婚の法律は州によって違うのでなんともいえないけれど、カリフォルニアの法律では片方がこれで離婚の意思表示を示せば、どちらの落ち度とか理由に関わらず嫌でも財産半分この離婚が成立する。これで夫との財産分与がもめなければ、暮れまでには離婚が成立するような感じだ。
机の上にあるありとあらゆる大きさのはんこを何枚もの書類にざくんさくんと押して行く窓口のおばさんは「今日一番の離婚書類ね♪」と嬉しそうに呟いた。結婚した二人に一人はこれを経験するなら、特にドラマということでもないのだろうな。
早起きをしたお陰で、パーキングの制限一時間内に処理が済んだ。窓口を離れたときには後方に長い列が出来ていた。弁護士っぽい雰囲気の人が多かった。
先日弁護士のオフィスで夫と待ち合わせして、生活費の相談に入った時にはやっぱり少し緊張するものの、夫の出方を待っているという感じだ。
「これは義務ではないのですが、旦那さんの過去二年の年収からカウンティの計算法に基づいた方法で奥さんへの生活費を計算するとこれだけになります」
そう弁護士が見せてくれた数字を見て「♪」という気持ちになった。2月の頃、何も解らずに自分の中だけで不安だけを募らせて病気になっていたのが嘘のようだ。夫は自分が考えていた金額よりも遥かに上回っているそれを見てかなり動揺していた。
「奥さんはどうしたいですか?」
という弁護士の問いにも「さぁ、一番の目的はお互いにストレスにならない離婚を成立させたいんで…」と、チラと夫を見るだけののんびりした私。お金に関しては争ったり奪うものではなく、自身に見合う額を『差し出されたい』と考えるのは甘いのかしら?
「なんともまぁ、崇高なお考えですねぇ」と呆れたように弁護士が言い「じゃぁ、どれだけ必用かをちゃんと書き出してきてください」と宿題を出された。今まで生活費を全くとして見つめずに生きて来た自分を意識させられた。それもまたラッキーな生活だったのだ。
それでも夫のちょっとした感情の乱れを目の前にするのはやっぱりストレスを感じる。オフィスを出て「では家で」と別れたものの、私の身体は小刻みに震えていた。そのときに感じたのは「ホームテイストを感じたい」だった。病気のときもそうだけれど、こういうストレスを感じる状態になって一番落ち着くのが『日本の味』なのだ。ラーメンを食べたかったけれど、中途半端な時間だったので開いてる店がなく、仕方がないのでアンデルセンベーカリーでプリンアラモードを食べて気持ちを落ち着かせた。
暫くして家に帰ったら、夫はもう普通になっていて、特に機嫌が悪いとかぎこちないとかそんな雰囲気でもない。生活はまったく変わっていない。ただ離婚するという未来があり、お互いに男女としての期待がないだけ気は楽だ。こういう『ぼちぼち離婚』というのもあるんだな、って自分でも感心するくらい。
20代の前半や30代前半のOL時代の貧乏生活のトラウマがあった。トラウマと言っても今思えばそう大したことないレベルに過ぎないとは思うけど、それでも当時の自分にとっては周りの同年代が激しく羨ましかった。お小遣いとして使えるお金がほぼ無かったので、夢というか『切望』は『欲しい物が欲しい時に普通に買える金銭的余裕のある生活』だったし、実際それは実現した。それどころか、その後の自己啓発等への投資で『したいことをしたい時にできる精神的余裕のある生活』にもなった。それだけでも贅沢な話なのに、それが究極になってゆく。無理強いした訳でもなく、サレンダーで身を任せていたら流されていく方向性だ。
30代の鬱の頃、夫と一緒になったことを選んだ事は間違いだと強く思わされた。そのとき『離婚』を夢見ていたし、その後も幾度となく蘇るその気持ちはあったけれど、つきつめると激しい『恐怖』によって打ち消された。その生涯抱えていた『恐怖感』が今はない。不思議なくらいに未来に不安はない。『展開してゆく宇宙を信頼している』ということか。
この3ヶ月、SFベイエリアはからりと晴れた気持ちの良い日が続いている。でも、サンフランシスコ市内はそろそろ霧につつまれる真冬のように寒い夏に突入する。サンフランシスコの文化はとても好きなのだけれど、その寒さが辛いので市内にでてゆくのがおっくうになってくる。
静かな郊外のこの家にいられる間は、とろとろと昼寝をまどろんでいる。そんな自由な時間があることに本当に幸せを実感している。制限があるからこそ、貴重だと思える『今この時間』。これが一生続くのだと思うと、絶望さえ感じてしまうときもあったというのに。
もうよそ見もしない。自分が幸せだと感じられるのならそれで良しとする。健康が一番。
そう思って月曜日に準備をしていたときの私は、まさしく『魂のワクワク』だった。「バシャールのいうワクワクはここかなぁ、ここなんだなぁ、きっと」と思いその場に駆けつけたにもかかわらず、なんとウエーブの途中『カオス』の音楽に辿り着く前に目眩を感じて撃沈。会場の端の方に仰向けに横たわり自身にレイキをかけながらも、驚く程長く長〜くなる呼吸に「もしかしたらこのまま出てしまう?」という不安を一瞬覚えたくらいだった。ヨガのインストラクターがするように、誰かが私の肩を押してくれて第三の眼に指を当ててくれたが、目を開ける力も無くただ手を合わせただけだった。一体誰がしてくれたのだろう香港酒店管理學院?
脚の手術をしてから動かなくなったのが祟ったのか、体調を崩している。一日30分のウォーキングもずっとサボりがちで、眠くてだるくてやることが先送りになっている「なんかな〜」の状態。『停滞期』を感じるまではいかないけれど、ブログに書くこともないというか書く気にならないというか。でも、そんなだらだらの生活の中でも好きなだけ布団の中ににいられる自由さに幸せを感じている康和堂。
それでも私のアンテナは『本質が見え始めている時期』を察知しているかな。自分の思考の変化や身の回りの人に起こっている事件などから、何度もそう思わされている最近だ。
特に急ぐ訳でもないし、なんだか訳の解らない書類を揃えるのが面倒臭くて先送りにしていたけれど、昨日やっと早起きをしてコートに出向きアメリカでいう離婚届けの第一歩を踏みだした。来年の税金の申告をジョイントでしたいという都合でファイリングを7月まで待っていたのもある永安百貨。
『file the divorce』ーーーアメリカ映画で良く聞くこの言葉を自分がするとは夢にも思っていなかった。必用書類を揃えて435ドル払って『離婚をしたい』という片方からの意思表明をするもの。アメリカでの離婚の法律は州によって違うのでなんともいえないけれど、カリフォルニアの法律では片方がこれで離婚の意思表示を示せば、どちらの落ち度とか理由に関わらず嫌でも財産半分この離婚が成立する。これで夫との財産分与がもめなければ、暮れまでには離婚が成立するような感じだ。
机の上にあるありとあらゆる大きさのはんこを何枚もの書類にざくんさくんと押して行く窓口のおばさんは「今日一番の離婚書類ね♪」と嬉しそうに呟いた。結婚した二人に一人はこれを経験するなら、特にドラマということでもないのだろうな。
早起きをしたお陰で、パーキングの制限一時間内に処理が済んだ。窓口を離れたときには後方に長い列が出来ていた。弁護士っぽい雰囲気の人が多かった。
先日弁護士のオフィスで夫と待ち合わせして、生活費の相談に入った時にはやっぱり少し緊張するものの、夫の出方を待っているという感じだ。
「これは義務ではないのですが、旦那さんの過去二年の年収からカウンティの計算法に基づいた方法で奥さんへの生活費を計算するとこれだけになります」
そう弁護士が見せてくれた数字を見て「♪」という気持ちになった。2月の頃、何も解らずに自分の中だけで不安だけを募らせて病気になっていたのが嘘のようだ。夫は自分が考えていた金額よりも遥かに上回っているそれを見てかなり動揺していた。
「奥さんはどうしたいですか?」
という弁護士の問いにも「さぁ、一番の目的はお互いにストレスにならない離婚を成立させたいんで…」と、チラと夫を見るだけののんびりした私。お金に関しては争ったり奪うものではなく、自身に見合う額を『差し出されたい』と考えるのは甘いのかしら?
「なんともまぁ、崇高なお考えですねぇ」と呆れたように弁護士が言い「じゃぁ、どれだけ必用かをちゃんと書き出してきてください」と宿題を出された。今まで生活費を全くとして見つめずに生きて来た自分を意識させられた。それもまたラッキーな生活だったのだ。
それでも夫のちょっとした感情の乱れを目の前にするのはやっぱりストレスを感じる。オフィスを出て「では家で」と別れたものの、私の身体は小刻みに震えていた。そのときに感じたのは「ホームテイストを感じたい」だった。病気のときもそうだけれど、こういうストレスを感じる状態になって一番落ち着くのが『日本の味』なのだ。ラーメンを食べたかったけれど、中途半端な時間だったので開いてる店がなく、仕方がないのでアンデルセンベーカリーでプリンアラモードを食べて気持ちを落ち着かせた。
暫くして家に帰ったら、夫はもう普通になっていて、特に機嫌が悪いとかぎこちないとかそんな雰囲気でもない。生活はまったく変わっていない。ただ離婚するという未来があり、お互いに男女としての期待がないだけ気は楽だ。こういう『ぼちぼち離婚』というのもあるんだな、って自分でも感心するくらい。
20代の前半や30代前半のOL時代の貧乏生活のトラウマがあった。トラウマと言っても今思えばそう大したことないレベルに過ぎないとは思うけど、それでも当時の自分にとっては周りの同年代が激しく羨ましかった。お小遣いとして使えるお金がほぼ無かったので、夢というか『切望』は『欲しい物が欲しい時に普通に買える金銭的余裕のある生活』だったし、実際それは実現した。それどころか、その後の自己啓発等への投資で『したいことをしたい時にできる精神的余裕のある生活』にもなった。それだけでも贅沢な話なのに、それが究極になってゆく。無理強いした訳でもなく、サレンダーで身を任せていたら流されていく方向性だ。
30代の鬱の頃、夫と一緒になったことを選んだ事は間違いだと強く思わされた。そのとき『離婚』を夢見ていたし、その後も幾度となく蘇るその気持ちはあったけれど、つきつめると激しい『恐怖』によって打ち消された。その生涯抱えていた『恐怖感』が今はない。不思議なくらいに未来に不安はない。『展開してゆく宇宙を信頼している』ということか。
この3ヶ月、SFベイエリアはからりと晴れた気持ちの良い日が続いている。でも、サンフランシスコ市内はそろそろ霧につつまれる真冬のように寒い夏に突入する。サンフランシスコの文化はとても好きなのだけれど、その寒さが辛いので市内にでてゆくのがおっくうになってくる。
静かな郊外のこの家にいられる間は、とろとろと昼寝をまどろんでいる。そんな自由な時間があることに本当に幸せを実感している。制限があるからこそ、貴重だと思える『今この時間』。これが一生続くのだと思うと、絶望さえ感じてしまうときもあったというのに。
もうよそ見もしない。自分が幸せだと感じられるのならそれで良しとする。健康が一番。
Posted by 季節外 at
13:20
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2014年07月17日
ところで
熱い陽射しの下を日傘を差して歩きながら、暑いのは暑いのだけど夏と言うには何かが足りなくて、なんだろう、夏休みの8月の昼下がりの、一瞬のシーンとした時間を思い出すなあと考えていて気づいた。セミの声がしない。今週になって一度、ベランダにいるときに耳にしたきり静かなままだ。まだ地中にいるんだろうか。見回しても目に入るのはアスファルトばかりで照り返しも眩しかった孔聖堂中學。
ところで、思い立って週に二度ずつ通っていたピアノのレッスン。一ヶ月が過ぎたところで一旦お休みして、9月から再開することにした。そうしたら気が緩んでしまって、今日はピアノに触れていない。おかしいな、やりたくて始めたのに、練習をさぼれることが嬉しいなんて。
先生に教わる、見てもらうということが、それだけプレッシャーだったということだけど、言い換えれば刺激があり、励みになっていたということなんだな孔聖堂中學好唔好。
話はころころ変わる。
最近、タブレット型の洗剤を使い始めたらこれが、楽してごめんなさいなくらいに楽だ。ぷにぷにっとした包みを片手でつまみ上げてポイでおしまい。本当は、環境にやさしい石けんを適量計って予めお湯で溶いてから使っています的なことを書けたら素敵なんだろうけれども水龍頭……。
アリエールの容器にボールドのタブレットだって気にしない気にしない。そうそう、このタイプだと詰替えも簡単。絶対にこぼさないもの。
ところで、思い立って週に二度ずつ通っていたピアノのレッスン。一ヶ月が過ぎたところで一旦お休みして、9月から再開することにした。そうしたら気が緩んでしまって、今日はピアノに触れていない。おかしいな、やりたくて始めたのに、練習をさぼれることが嬉しいなんて。
先生に教わる、見てもらうということが、それだけプレッシャーだったということだけど、言い換えれば刺激があり、励みになっていたということなんだな孔聖堂中學好唔好。
話はころころ変わる。
最近、タブレット型の洗剤を使い始めたらこれが、楽してごめんなさいなくらいに楽だ。ぷにぷにっとした包みを片手でつまみ上げてポイでおしまい。本当は、環境にやさしい石けんを適量計って予めお湯で溶いてから使っています的なことを書けたら素敵なんだろうけれども水龍頭……。
アリエールの容器にボールドのタブレットだって気にしない気にしない。そうそう、このタイプだと詰替えも簡単。絶対にこぼさないもの。